僕は今から15年ほど前に、「音楽が人間の健康を支える生体機能にどんな影響を及ぼすか」について興味を抱き、自分の専門分野である免疫学の視点で研究を始めました。その理由は、もし音楽の中にそのような力があるとしたら、21世紀における予防医学や未病医学においても音楽は大きな意味をもつと考えたからです。ご存じのように、音という空気の振動は波動として耳から聴覚神経を経て入力されるばかりではありません。その空気振動はさらに60兆個もあると言われている全身の細胞に直接衝突して、細胞内のおよそ85%も占める水環境にさまざまな影響をもたらしているに違いありません。
 当時、音楽を活用してさまざまな病気を改善させたり、健康増進にそれを用いていることを種々の科学論文で直接知ることができました。こうした流れの中で、モーツアルトが作曲した多くの名曲にも病気を改善させたり自閉症を治したり、あるいはアルツハイマー型認知症の症状を改善させたりといった力が存在することに驚かされました。なぜモーツアルトの音楽にこのような魔法の力が潜んでいるのでしょうか。以来、一つのモデルシステムとして、音楽としてはモーツアルトの名曲を用いて、学生の協力の下、さまざまな観点でその影響を検証する実験を行ってきました。
  その実験の過程で、モーツアルトの音楽には人間の安静時に作動する副交感神経に影響して、その神経活動にスイッチを入れる音の要素がバランスよく含まれていることを見出したのです。これは僕にとって大きな発見であり喜びにもなりました。もしかしたら、自律神経のアンバランス、特に活動モードを引き起こす交感神経の働きが過剰のために発生する病気に対しては、その音楽の活用は大きな意味をもってくると確信したのです。
  実際に音響学的に分析したモーツアルトの音楽に聴き入ると、どなたでもすぐに舌下腺からサラッとした唾液がたくさん分泌されてきます。また手足の末梢体温がすぐに上昇してきます。さらに血圧や心拍が安定して下がってきます。こうした現象は身体を休める副交感神経にスイッチが入っていることを如実に物語っています。僕はさらに体表面の分泌液に含まれる免疫物質IgAや血液中のリンパ球の数や機能が増強することも見出しました。一方、交感神経の活動が減少して、ストレスホルモンやクロモグラニンAという物質が減少することも判明しました。その他にも新しい発見がたくさんあります。
  最近、音楽を臨床的に活用して患者さんの病気を治す音楽療法が注目されています。患者さんの立場にたったとき、患者さんが心身の病気の改善を図る上で、その音楽を提供して頂いて良かったと実感してもらえるように、医者も音楽家も基礎医学研究者も臨床心理士も、「患者さんのために一体何ができるのか」を真剣に問うていくことこそが最重要なのです。医療の主人公は患者さんだからです。この自覚があり、そして、相互に研鑽しつつ得られた成果を患者さんの喜びに通じるように提供していくのであれば、まさにそれは臨床的に意味のある音楽療法になると考えています。今僕は、人間の五感の中で聴覚にもっとも注目し、その延長線上に患者さんのために役立つ音楽療法の効果を真剣に考えていこうと思っています。




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