ロハス的生き方を再考した1日

 地球規模の環境破壊については、毎日のように新聞やテレビなどのニュースで取り上げられています。この環境破壊の延長線上として、地球温暖化も含めて、大気汚染や水質汚染、そして土壌の汚染などによって、人類そのものの生存が可能か否かが議論されるようになりました。僕個人としても、心配のあまり、奇跡的な確率で生命が誕生したこの美しい緑の地球を、どのように破壊から守っていけばよいのかを真剣に考える日が多くなってきました。

 多くの人々が認知している言葉に「ロハス」というコンセプトがあります。これは英語で「LOHAS」と書きます。翻訳すると、「健康と持続可能性を志向するライフスタイル」という英語の頭文字です。この中にある「持続可能な」という表現が、今日ほど求められている時代はこれまでなかったように思います。一般的には、地球環境や身体に良い健康的な暮らしを継続させていこうではないかという価値観を表しています。人類のレベルでは、人間が健やかに生きることができる地球環境を子々孫々に受け継いでいこうということにも通じていると思います。

 

 そのロハスですが、この概念の中には、持続可能な経済をどのように達成したらよいのか、あるいは持続可能な生活をいかに導入したらよいのか、などの問題があります。加えて、環境に配慮した生活をどのように可能にするか、薬に依存することなく病気にならないようにするには、どんな代替医療あるいは自然医療を導入したらよいのか、など、さまざまな問題が潜んでいます。この観点で現代社会を見ると、今日の消費型経済発展がロハスに反しているということが自ずと見えてきます。

 

 幸いにも多くの先進国は、自国の豊かさや経済的発展が、開発と消費の上に成り立ってきたことに気づき、また一方でこの開発・消費型経済発展は、地球環境そのものに多大な悪影響をもたらし、気候変動も含め、自然災害の増加をもたらし、人類の生活そのものに脅威を与えている原因になっていると気がつき始めました。僕はこうした価値観の変化がロハスを達成する上でたいへん良いことと感じています。それでは将来、その消費型経済発展という選択肢を捨てたとき、いかなる新しいコンセプトが別の選択肢として生まれてくるのでしょうか。

 

 ここで登場するのが、江戸時代末期に二宮尊徳の教えを継ぐ人々によって考え出された「分度盃」(ぶんど・さかずき)という考え方です。盃に注ぐお酒が85%を超えると、底に開けた小さな穴から水圧でお酒がこぼれて、結局全部が失われてしまうということを示しています。つまり、「背伸びしないで、何事も度を超えることなく生きていなさい。もし度を超えると、超えた分だけでなく、すべてを失ってしまいますよ」という戒めなのです。僕は、この意味することが、現在の地球環境にも当てはまるように感じてならないのです。地球環境はもうギリギリの危機的状況にあります。85%以下で我慢することが、あらゆる分野で可能であれば、もしかしたら地球の危機的環境は改善されるかもしれません。すべての人々が、今までの消費(食べる量、使うエネルギー、燃料、水あるいは電気など)を85%以下に抑えられるように決意をもって行動すれば、きっと地球も許してくれるかもしれません。これが僕が今考えている別の一つの選択肢なのです。

 

 ほんの少しの「辛い我慢」を敢えて課すことによって、地球を守れるのであれば、それは「辛」が一つの我慢で、つまり一を加えた漢字の「幸」になると思う1日でした。

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