僕は平成元年度に埼玉医科大学短期大学の免疫学を担当する一教員として着任しました。当時、何もかもがゼロからの出発で労苦は絶えませんでしたが、多くの方々のご支援とご理解によって教育と研究の環境を整えることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。ここでは、卒業研究を選択することができるカリキュラムを提供していたので、免疫学に関心のある学生は僕の卒業研究生として科学の謎解きに挑戦していました。
 先般、これまで僕はどれくらいの研究テーマを提供し、またどれくらいの学生が僕の免疫学分野を選んでくれたのかについて調べてみる機会がありました。驚いたことに、研究テーマ数は、所属する学科が閉学科になるまでの18年間のあいだに、動物の生体防御機構に関する分野、食物と免疫システムに関する分野、免疫担当細胞に関する分野、音楽療法と生体機能に関する分野、環境と免疫機構に関する分野などで、合計44課題にのぼりました。その他、学外からも卒業研究や修士課程での研究も指導したので、全体的なテーマ数はかなりの数になります。また、この間、およそ140名の学生が免疫学分野に関心を抱いてくれました。各学年の学科定員数が40名という中で、これほど多くの学生が、本当に興味を抱いたテーマに励んでくれたことは、僕にとってたいへん光栄のことであり嬉しいことでもありました。
  多くの卒業生は現在、臨床検査技師として患者さんのために一生懸命働いていますが、免疫学の分野で卒業後もリサーチに専念し、博士号を取得した方も出てきました。そして今でも、門下生が集まって昔を懐かしみ親交をさらに深める機会を作っています。
  さて、僕は「大学教育とはいかにあるべきか」について考えることがよくあります。そんなとき、もう10年以上も前に、当時、山口大学で学長を務められ、数学のノーベル賞に匹敵するフィールズ賞を1970年に受賞されていた広中平祐先生と宇部市で開かれたある会合でお会いした際に伺ったお話をよく思い出すのです。その内容とは、1923年にノーベル文学賞を受賞されたアイルランド出身のウイリアム・バットラー氏が語ったことばに関係するものでした。それは「Education is not fulling a bucket, but it is lighting a fire.」というものです。簡単に解釈すれば、「教育とは知識を満たしてあげることではなく、心に火をつけることなのです」となりましょう。
  このことばは今日の大学教育においてたいへん重要な意味をもっていると思います。というのは、人間という生きものは、一度心に火がつき、その道の真の面白さを知れば、他人から言われなくても、主体的に意欲と情熱を抱いて取り組み、知識や技術を自ら得ていくからです。こうなれば、時間を惜しむことなく、他人を気にすることなく、熱心に邁進できるのです。しかし、大学教育が低下していると叫ばれる昨今、僕は「学生の心に火をつけるためにはどうしたらよいのか 」を自問自答しながらいつも悩み続けています。
  そんな悩みの中で、まず教員が学問することの面白さを学生に直接示すことができるように、真理探究の姿勢を絶えず追求しつつ、主体的な行動で学生に表現することがとても大切であると考えています。自分が発電所になって、常により強い電力を生み出していれば、そのエネルギーは学生の心に届き、学生の心の火はより明るく輝いてくれるはずです。自分がこの学舎に入学して良かったと思われるように、教育満足度も自然と高まっていくものと確信しています。今僕は、新たに設立された学部で、心身をリセットしつつ、学生のために一体何ができるのかをもう一度真剣に問うて生きていこうと思っています。




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