8月に入り、今年もいろいろなセミが一斉に鳴き始めました。大学周辺では、ニイニイゼミやアブラゼミ、ミンミンゼミが7月中旬から出現し、また現在は彼らに加えてツクツクボウシやヒグラシが大きな声を競っているかのように鳴いています。セミの声を聞くと、なぜか真夏を肌で感じ取ることができます。一方、僕の実家の庭では、アブラゼミとミンミンゼミが何十年以上にもわたり毎年繰り返し出現してきました。うるさいほどの鳴き声ですが、なくてはならない夏の風物でもあります。
 さて僕は、小さい頃からよく目を閉じたときに、いったい何が聞こえるかにたいへん興味がありました。小学校の頃、夏の昼間に目を閉じると、ハエやヒラタアブの羽音やセミあるいはキリギリスの鳴き声が脳を刺激してくれました。また夏の夜になると、スイーチョ・スイーチョと鳴くウマオイやかすかな声でチチチツツーと鳴くツユムシ、そしてコロコロコロリーと鳴くエンマコオロギの鳴き声は、脳に心地よい刺激を与えてくれ、快眠へと誘ってくれたものです。生きものが発するこうした鳴き声や風のそよぎあるいは川のせせらぎなどの自然音は、脳と心に穏やかでさわやかな影響をもたらすものです。
  でも、ここ10年以上もの間、実家の周辺から田畑が宅地化によって失われると、悲しいことに夜の昆虫は姿を消し、彼らの鳴き声を聞くことができなくなりました。代わって、目を閉じて耳から入ってくる音は、テレビの音、冷蔵庫の音、車の音、携帯電話の音、水道水の音、扇風機の音など、ほとんどが人工音になり、自然音を聞くことは、まずありません。時代が変わり、人間の耳から入力される音がまったく異質なものになったことは、人類の歴史上、これまでなかったことでしょう。こうした聴覚レベルでの激変が子どもの脳や心の発達において、いかなる影響を及ぼすのかについては、まだ人間は何も答えをもってはいません。まさに今試されているのです。しかし、人間も自然の一員である以上、人類が誕生してから耳にしてきた自然音への反応性は、きっと遺伝子レベルでも刷り込まれているのではないかと思うことがよくあります。
  ところで、僕は小学5年生のとき、昆虫がどのようにコミュニケーションしているのかを知りたく、いろいろな昆虫の聴覚について理科の参考書で調べたことがあります。前足に一対の鼓膜器をもつキリギリス、腹部にもつバッタ、触覚の基部にジョンストン器官としてもつ蚊など、昆虫の種類によって聴覚器の存在がずいぶん違っているものだなと不思議に感じたものです。こうした聴覚を用いた個体間の伝達方法は、かれらの種族維持においてきわめて重要です。もし、個体が発する音が他個体に伝達されなかったら、同じ種内での出会いや雌雄の配偶行動はなかっただろうし、子孫は残らなかったでしょう。本当に生きものの聴覚は大切なのです。この事実は当然、人間にも当てはまるはずです。
  僕は今、五感の中でも聴覚に注目しながら、音楽のもつ健康への波及効果を研究しています。実際、人間は好き嫌いに関係なく、ある音の特徴をもつ音楽に対して直接的に生理反応を示すことがわかってきました。この事実は、人間の脳が生まれながらにしてある音に遺伝的に敏感に反応して生存価を高めてきたのではないかを想像させるものです。
  さて、先日、僕の実家の庭でミンミンゼミの羽化を幸運にも観察する機会がありました。夕方薄暗くなると、地中から這い出してきた幼虫は急いで近くの木に登っていきます。そして、動きを止めると、やがて背中が割れて成虫が出てきます。まだ縮んでいる透明で柔らかい羽はやがて伸びきり、朝方には硬くなり色もついて飛べるようになります。その朝から、雄ゼミはわずか1週間ほどの短い命を謳歌するように、精一杯の声で雌を呼び寄せ結婚するのです。こんな当たり前の現象がいつまでもいつまでも続くように温かく見守っていきたいと思っています。




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