老いを身近に考えた1年を振り返る

 今日から12月になりました。この1年、僕の心に刻まれた多くの出来事について振り返る月でもあります。12月は師走とも言いますが、陰暦で12月のことです。その語源・由来にはいくつかの説があるようですが、正確な語源は未詳と言われています。 しかし、12月は、師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈されており、それを昔「師馳す(しはす)」と言っていたことから、それが主な語源になっているとのことを、ある書物から知ることができました。

 ところで、今年は3月に、88歳になる実家の母が玄関先で転び、左大腿骨を骨折して、入院・手術しました。その後、リハビリテーション科で3ケ月間歩行機能の回復に専念しました。そして、今度は生活の自立を目指して、老人施設に入所して現在に至っています。およそ10ケ月のあいだ、僕は毎週のように自家用車で帰省して、母を見守り元気づけてきました。一方、93歳になる亡き父の姉も家の中で転倒し、大腿骨を骨折したのです。そして、入院・手術・リハに専念、老人施設に入所と、母と同様の生活スタイルを余儀なくされました。二人とも高齢であるにも拘わらず、現在は意欲的に、前向きに人生を捉え、懸命に歩行可能になるように日々努力しています。本当に落胆しがちな自らの気持ちを鼓舞しながら、自立を目指して真剣に生きている姿に、僕は感銘を受けてきました。

 

 さて、先日僕は、大学のリハビリテーション科の先生と、将来、骨折するであろう人の数について一緒に考えたことがありました。戦後生まれの団塊の世代の人々がやがて80歳を超えてくると、年間、およそ35万人以上もの高齢者が足や腕を骨折するのではないか、そして、こうした骨折はごく普通の生活の中で生じるのではないか、という結論に達しました。この予測数は恐ろしいものです。多くの高齢者の骨はもろくなってくるのです。けれど、もしこうした事態が本当に訪れるとしたら、十分の数の入院や手術する場所あるいはリハに専念する施設はどこにもありませんし、患者を診る医療人の数も不足してきます。本当にこうした事態は国家にとって深刻な問題になります。今からしっかりと対策を考えておかねばなりません。

 

 「老い」はいつか必ずどなたにもやってきます。老い、つまり老化あるいは加齢とは、生物学的にみると、時間の経過とともに生き物の体内に起こるすべての変化であって、特に生物が死に至るまでの間に起こる器官、組織あるいは細胞などの機能が低下することを指すものと思います。たとえば、老化によって、Tリンパ球という免疫細胞の1種を分化・成熟させる胸腺という器官は萎縮してきます。また、骨粗鬆症、認知症、動脈硬化性疾患などは老年性疾患であり、老化に伴って、その発病頻度が高まってくるのです。

 

 人間はロボットではなく、生き物です。個体を構成するおよそ60兆個の細胞は、もし80年以上も休み無く活動していれば、「僕はもう疲れたよ」と訴えているはずでしょう。一般的に、生体の組織から取り出した細胞を試験管内で培養すれば、細胞分裂の回数に制限あるために、やがて死滅してしまいます。その一つの原因として、細胞の核内にある染色体の末端にあるテロメアという構造が短くなっていくためであると考えられています。ですから、細胞レベルにおいては、細胞自身が自然に老いていくのが、どの生物においても当たり前の現象なのです。一方、がん細胞や幹細胞などでは、そのテロメアを伸長させる酵素のテロメラーゼが豊富にあり、細胞分裂の回数には制限がなくなると考えられているので、無限に増殖できるのです。

 

 なん十年にもわたる長いあいだ、尊い命を支えてきた時計の振り子をいっときも休まず動かしてきたすべての細胞に対して、僕は心から感謝しようと思います。また同時に、これからは、全細胞をいたわり、また無理せずに大切にしようとする心を維持していこうと思います。そうであれば、老いという現象は、「個体レベル」で素直に受け入れられ、人生を健康なうちに全うできる体制が全身で築かれるのではないかと思う1日でした。

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