11月も下旬になると、初冬の気配が濃厚になり、朝晩は冷蔵庫の温度まで下がってきました。しかし、今年は温暖な気候が続いたせいで、信州の山々の紅葉もかなり遅れていたようです。それでも、ブナやクヌギ、シラカバ、カラマツ、ナナカマド、ウルシ、モミジなど、赤や黄色の美しい紅葉を存分に楽しむことができました。
  この時期、あちこちにある信州の名産店に行くと、さまざまな珍味が並んでいます。特に僕の目を引きつけるのは昆虫なのです。小さい頃から、松本で育ったせいか、食卓にあがるイナゴや蜂の子、あるいはカイコの蛹やザザムシなどはよく食べる昆虫でした。亡き祖父は、「昆虫は蛋白質に富み、栄養価はたいへん高く、体に良いものだよ」、また「信州は海がないので、昆虫が魚に代わる動物蛋白なんだよ」とよく話してくれたものです。こうした環境で育った僕は、今でも昆虫が懐かしい食材になっています。当時は、食べるだけでなく、蜂の子の材料になるクロスズメバチの幼虫を捕まえることも楽しい遊びでした。小さなフナやカエルを枝先に刺して里山においておくと、どこからか成虫が飛んできて、それらを肉団子にして自分の巣の方にとんでいきます。まもなく、仲間を連れて同じ場所にやってきます。このときを見逃さずに、小さく球状に作った肉団子を真綿の細い糸でしばり、手のひらにおいておきます。すると、そこにやってきた成虫は真綿の糸がついた肉団子を口にくわえて巣の方に飛んでいきます。蜂の後を追いかけ、見失った場所で同じことをすると、次第に巣の場所に近づいていきます。こうして最後は蜂の巣を発見することができるのです。あとは煙幕で蜂を麻痺させて、土の中にある巣を掘り出すのです。
 さて、世界で食用にされる昆虫の種類を集計すると約1,200種類にものぼるといわれています。主に食材になるのは、幼虫や蛹ですが、成虫や卵も食材になっています。後者の場合、例えば、中国の『周礼』「天官冢宰」では、シロアリの卵を塩辛にして、客をもてなしたと記録されています。また、古代ギリシャではセミなどを食べたという記録が残っています。加えて、アフリカ北部などでは、サバクトビバッタがときどき大発生し、農作物が食い尽くされる蝗害が発生しますが、こうした場合には、農作物の代わりにサバクトビバッタを緊急食料として食べるとの記載がありました。また、ラオスやベトナム、タイなどの東南アジアではタガメを食べたりもします。こうした世界的な慣習を考えると、昆虫を食べるという食生活は決して珍しいことではなさそうです。 
一方、日本では一般的に気持ちが悪いとか美味しくないとかの心理的な理由で、また昆虫食が時代遅れの慣習であるとの理由で、最近ではほとんど昆虫は食されていないようです。こんな背景があるにも拘わらず、名産店で見つけた昆虫は、僕にとってとても新鮮な存在でした。食用にされるイナゴや蜂の子、また天竜川の名物・ザザムシなどは、近年、その数が減少したため、佃煮などの加工品の価格はとても高くなっていました。昆虫が棲息できる環境が失われていくことは、本当に悲しいことです。また、数が減少することは、将来、昆虫を食べる習慣は次第になくなっていく運命にあるのではないかと不安にもなりました。 
昆虫は乾燥に強く、繁殖力の旺盛な節足動物の一員です。昆虫を食用となる動物と捉えた場合、少ない飼料で生育可能でもあるので、将来の人類は人口増加に伴う食料資源の枯渇を補う動物性食物として優れていると考え、昆虫に食料的価値を見いだすかもしれません。また、宇宙ステーションでも重要な動物蛋白源になるかもしれません。夢と希望はもちたいものです。 
今日は昆虫を食べるという食習慣がたいへん珍しくなっていると感じた1日でした。




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